初めての海外旅行は学生のときでした。友人が北京の大学に通っていたので、彼女に会う目的で中国に行きました。当時学生だった私はお金もなく、飛行機と比べて断然安い船で行くことにしました。神戸港から出港している「鑑真号」という船です。

出港時は知り合いも誰もいずに少々心細かったのですが、船に乗り込んでしまえば、私と同じようなバッグパッカーの学生が大勢いて、上海までの2泊3日間退屈することなく過ごすことができました。

 

当時の中国は、終戦当時の日本と生活様式が同レベルだと聞いていました。実際に男性のほとんどは「国民服と国民帽」をつけていて、街全体がくすんだ濃い緑色だったのを覚えています。

中国は漢字発祥の国とはいえ、私はまったく中国語は話せませんでしたし、中国国内で使う漢字はその量のせいか略式漢字であることが多くなじむまでに少し時間がかかりました。

 

日本から持って行ったものは、当たり前のように「トイレットペーパー」でした。しかも、かさばらないように芯を抜いてです。これを複数個持っていきました。その時代には必須でした。

また、レストランで出された小皿を拭くためのティッシュペーパーも必需品でした。実際に出てきたお皿の表面には、毎回薄くホコリや砂のようなものが必ずついていました。また、水を浄化する薬品も持っていきました。

 

お金に関してはクレジットカードも考えたのですが、当時学生の私は持っておらず、しかも、なんとなく旅行自体がサバイバルになりそうだったので、カードが通用しない可能性も考え、あえて作りませんでした。今ならクレジットカードは必須なのでしょうが、現地では日本円そのものが重宝がられたほどです。

地図と方位磁石と紙とペン。小さな中国語会話の本とガイドブック。勿論カメラも持っていきました。おしゃれな服など一枚も持って行かなかったのですが、バッグパックに荷物を詰め終わって重量を測ったらなんと7Kgもあり、びっくりしました。

当時は若くてあまり深く考えていなかったこともあり、保険には入りませんでした。今考えると怖いです。今なら必ず入ります。幸い、無事に帰ってくることができましたが。

 

今はどうかわかりませんが、当時の中国の公共機関は午後4時にどこもかも閉められてしまいました。船が港に着いたのが午後2時〜3時くらいだったと記憶しています。まず始めに、お金を両替するために都心部の銀行に行ったのですが、到着が午後4時ギリギリで、行員は皆帰る準備をして相手にしてくれませんでした。

仕方なく、次の日に出発する北京行きの列車のチケットを取りに隣のビルの旅行社に行きましたが、そこでも同じ扱いを受けました。

今はこういった心配はせずに済むと思いますが、中国では終業時間が来たら、たとえ客が居ても相手をしてくれないといった習慣を知っておくべきだったと思いました。

 

 

良い思い出として今でも思い出すことが出来ます。海外は若いうちに行っておくべきだと思います。